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熊本地方裁判所宮地支部 昭和45年(ワ)54号 判決 1981年3月30日

原告 橋本光

<ほか三九名>

原告ら訴訟代理人弁護士 坂本仁郎

被告 北里英昭

<ほか五名>

被告ら訴訟代理人弁護士 青木幸男

主文

原告らと被告らとの間において、原告らが別紙物件目録記載の土地につき、入会権に基づき、それぞれ被告ら各自と同一の割合をもって立木、その他一切の産物及びその換価収益を収取する権能を有することを確認する。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

事実

第一申立

1  請求の趣旨

一  主文第一項同旨

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

2  請求の趣旨に対する答弁

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

1  請求の原因

一  黒川部落民の入会権

(一) 別紙物件目録記載の土地(以下、本件入会地という。)は、旧幕時代から、熊本県阿蘇郡南小国町大字満願寺字黒川、字北黒川、字西黒川、字赤谷の部落に居住する住民(以下、黒川部落民という。)に総有的に帰属する入会地であった。明治六年以降の地租改正、山林原野官民有区分政策の際も、阿蘇郡小国郷字黒川部落有として官有地への編入を免れた。明治二二年町村制の施行に当り、南小国村ができ、本件入会地は南小国村大字満願寺の所有、即ち大字有という形で、公有財産にとりこまれることになったが、黒川部落民は従来と同じように入会権を行使してきた。その後、明治四三年以降の政府の部落有林野統一政策に基づき、大正一一年から大正一五年にかけて、本件入会地は、一旦、南小国村大字満願寺のため所有権保存登記がなされたうえ、直ちに、南小国村のため贈与による所有権移転登記がなされた。こうして、本件入会地は南小国町(当時、村)の所有に帰したが、統一条件として、本件入会地に対する入会権は黒川部落民に留保された。このように、黒川部落民は、旧幕時代から、本件入会地に入会い、採草、放牧、用材及び薪炭材の採取等の入会稼ぎをしてきたのであって、慣習上、黒川部落民(入会集団)が本件入会地につき地役的入会権を有することが確立されている。

(二) そして黒川部落民の有する入会権の内容は、使用収益の面においては所有権とほとんど撰ぶところはなく、本件入会地上の立木その他の産物一切が含まれる他、土地自体の自由なる利用をも包含している。ただ、町当局の財政に協力する見地から、前記統一条件に基づき、立木柴草、工事用の土砂等を自家用以外の目的で採取、売却する場合には、その収益の三割を町が取得し、残りの七割を部落民が取得する旨の、分収を条件とすることになっている。そして立木等の売却によって部落民の得る右収益金は部落内の道路、牧道、橋梁の改修、学校用備品、設備の購入、消防器具の購入補修、部落の祭礼費等、部落民の共益費として利用されることになっている。

(三) 黒川部落民は、入会地の管理機構として、部落総会、部落長、部落委員等の機関を有し、その機関決定により、本件入会地上の立木その他の産物の採取処分、収益の管理、町当局との協議、個人による入会地の侵奪の解決等の入会地の管理が行われる他、部落の祭り、部落内生活道路の整備としての道つくり等の部落の諸生活行事も行われる。ただ、採草放牧に関しては、これを必要とする部落民のみで、部落総会の下部組織として牧野組合を結成させ、採草地の割地等細目の決定をその自治に委ねている。

(四) そして黒川部落民が総手的に有する入会権の主体である部落民個人の入会権は、世帯を単位とし各世帯主一人につき一個の割合で定められ、それぞれ平等であるとされている。

二  部落構成員の入会権の取得等

入会集団としての黒川部落民は、原、被告らの世帯の他、被告らと同じく黒川牧野組合の組合員である訴外北里量外拾数名の世帯をもって構成せられている。入会集団構成員の入会権は、黒川部落に居住し、入会地の利用に与かり、部落共同作業の従事、公租公課の負担等の入会権者としての義務を果すことによって認められる。ここにいう入会地の利用は、採草放牧、自家用薪炭材の採取等の古典的原始経済的利用形態におけるそれにとどまらず、入会集団の統制のもとに分収林契約締結地からの分収に与かり、自然木を保護撫育したり、人工造林をして産物の売却代金を取得し、これを部落の共益費として用いる等の団体直轄的貨幣経済的利用形態におけるそれを含むものである。また、入会権者の義務も入会地内の牧野の整備、野焼き等直接入会地と結びついた労務の提供等にとどまらず、部落内の生活関連道路の整備への労務の提供等を含むのである。

三  原告らの入会権取得の原因及び時期

(一) 第一グループ

別紙二第一グループの原告1ないし14の一四名は、明治以前から大正一三年にかけて先祖が黒川部落集落に入村して世帯主となり、その後代々世帯を承継し、現在は右原告らが世帯主である。

(二) 第二グループ

別紙二第二グループの原告15ないし21の七名は、昭和五年から昭和二七年にかけて黒川部落に転入して世帯主となったものである。

(三) 第三グループ

別紙二第三グループの原告22ないし37の一六名は、昭和二九年から昭和四二年にかけて黒川部落集落に転入して世帯主となったものであって、入村に際し入村金を支払った。

(四) 第四グループ

別紙二第四グループの原告38ないし40の三名は、従来黒川部落に居住していたが、昭和二八年から昭和三七年にかけて入会権者世帯から分家独立して世帯主となったものである。このうち原告38、39は分家に際し入村金を支払っている。

(五) 以上のとおり原告らは、先祖の世帯を承継したり、転入若しくは分家によって黒川部落民となり、久しい間本件入会地につき入会利用に与り、他方公租公課の負担、火入、町道・里道・採草道の補修、黒川小学校設備充実資金用の植林地の手入等の作業に出仕し、また作業に参加できないときは出不足金と称する過怠金を支払う等一切の義務を負担してきたものである。なお、原告ら各自の部落加入の年月及び事由の詳細は、別紙二記載のとおりである。よって原告らが本件入会地につき入会権を有することは明らかである。

四  しかるに被告らは、牧野組合に加入している組合員のみが本件入会地の入会権者である旨主張して、組合員でない原告らの入会権を否定している。よって、原告らに入会権に基づく使用収益権能があることの確認を求める。

2  請求の原因に対する答弁

一(一)  請求の原因一(一)の事実は認める。但し、現在では入会集団を構成している者は被告らの属する牧野組合員だけである。そこには入会集団構成員でない「集落」の居住者と入会集団構成員との分離が顕著である。

(二) 同(二)の本件入会地についての入会権の内容が、地上の立木その他の産物一切が含まれる他、土地自体の自由なる利用をも包含している旨の主張は認め、その余の事実は否認する。元来、入会権は私有財産の一種であるから、入会地上の産物を換価してその収益金をどのように利用するかは、入会集団の自由に決定し得るところである。本件入会地については、被告らの属する牧野組合員が入会権を有しているのであるが、牧野組合員は、入会地上の産物を自家用に消費する他、くぬぎ換価代金、湯株からの収益金、分収林からの伐採木換価代金等を、学校負担金、消防施設、街灯設備等黒川部落集落の公共事業の費用に充当したことがあった。しかしこれは部落の発展を願う入会集団の恩恵的措置としてなされたにすぎないのであり、原告らは黒川部落の集落の一員として、右公共施設を利用することによって反射的に恩恵的利益を受けているにすぎない。

(三) 同(三)の事実中黒川部落に部落総会、部落長、部落委員等の機関がある事実は認め、その余の事実は否認する。

右部落の各機関は、入会集団の管理機構ではなく、行政主体たる南小国町の一部としての黒川部落集落の機関である。従って右機関が、集落の祭礼、町道の整備等の集落の行事を主催管理するのは当然であるが、入会地の産物の処分、収益の管理、町当局との協議、入会地侵奪問題の処理等の入会地の管理行為をするものではない。被告ら入会集団が、入会地上の産物あるいはその換価代金を集落の公共事業費用に恩恵的に寄付する旨決定した後において、集落の機関としてその利用管理に関与することになるだけのことである。

牧野組合は、部落総会の下部組織ではなく、これとは無関係であり、入会集団そのものであって、組合長その他の機関を有し、入会地の管理にあたっている。

(四) 同(四)の事実は認める。但し原告らは、黒川部落集落の住民ではあるが、入会集団としての黒川部落民には属していない。

二  請求の原因二の事実は否認する。入会集団としての黒川部落民は、牧野組合に属する組合員の世帯をもって構成せられており、原告らは入会集団の構成員ではない。

黒川部落土着の住民のほとんどは、昔から、農業を営み、本件入会地に入会って、共同して使用収益に与り、管理義務を果してきた。これらの者が入会集団を構成していたのである。そして昭和三四年ころ、行政指導もあって、これらの者が「黒川牧野組合」を結成して入会集団であることを明確にしたのである。古くは、入会集団の構成員としての部落民と行政主体である南小国町の一部としての黒川部落集落の部落民の範囲は、概ね一致していたのであるが、時代の進展と生活様式の変化にともない、集落の一員ではあっても入会集団の構成員でない者が急増している。特に温泉観光地である黒川部落の地域性からして、他所から転入して旅館業等の商業を営み、あるいは、その従業員となったりして集落の構成員とはなるが、入会地と何らのかかわりを持たず、若しくは、従来農業を営み入会権者であった者が旅館業その他の商業に転業して入会利用を行わず、入会権者としての義務も果さず、入会権を喪失するものが多い。原告らはいずれもこの部類の部落民にすぎない。

三  請求の原因三の事実中原告らが黒川部落集落の一員であることは認めるが、入会集団の構成員であることは否認する。

本件入会地においては、転入及び分家による入会権の取得を認めない慣習になっている。また、従来入会権者であった者も入会権者としての義務を果さないことによって入会権を喪失するのである。原告らはいずれも新しく転入あるいは分家した者であるが、入会権者としての義務を果さず入会権を喪失した者ばかりである。

ここに、入会権者としての義務とは、入会地と民有地境の防火線焼き、入会地内の野焼き、入会地内の道造り、補修、牧柵の設置、補修等、入会地と直接関連のある労務の提供等をいうのであって、部落内の県道、町道が整備、学校用林の整備等入会地と直接関連のない集落の一員としての義務をいうのではない。そして、入会地と直接関連のある労務の提供等の入会権者としての義務は、すべて被告ら牧野組合員がしてきたのであり、原告らは何らこれに関与していない。原告らがいう労務の提供等は、すべて入会地と直接関連のない集落の一員としての義務にすぎない。国有林地境の防火線焼き、平野道及び青雲山荘から平野台へ通じる道路の補修等もこの部類のものである。

また、原告らのいう入村金は、部落の設備、備品を利用することに対する謝礼としての入村者の自由意思による入村寄付金であって、入会権取得の要件とは無関係である。他部落の入会集団の例を見ても、いわゆる「入村金」はもっと高額である。

四  請求の原因四の被告らが原告らの入会権を否定していることの事実は認める。

第三証拠《省略》

理由

一  黒川部落民の入会権と本件訴訟の争点

(一)  本件入会地は旧幕時代から黒川部落民に総有的に帰属する入会地であったこと、明治六年以降の明治政府による地租改正、山林原野官民有区分政策によっても官有地への編入を免れたこと、明治二二年の町村制の施行に当り大字満願寺の所有となり大字有の形で公有財産にとりこまれることになったこと、さらに政府の部落有林野統一政策に基づき大正一一年から大正一五年にかけて南小国町(当時、村)の所有に統一されたこと、この間入会地の所有者は変っても、黒川部落民が入会権者として入会地に入って採草、放牧、薪炭材の採取等の入会稼ぎをしてきたこと、南小国町所有への統一に際しても、統一条件として、黒川部落民に入会権があることが「確認」されたことは当事者間に争いがない。

右事実によると、南小国町有財産である本件入会地につき、黒川部落民が入会集団を構成して、地役的入会権を有していることが、慣習上、確立されていたことが明らかである。

(二)  ところで原告らの本訴請求は、原告らも、被告らと同じく、右の入会集団の構成員であって、それぞれ本件入会地につき入会権を有している旨主張し、その権能としての使用収益権の確認を求めているものである。これに対し、被告らは、「入会集団の構成員としての部落民」と「集落の居住者としての部落民」との区別を指摘し、原告らは黒川部落という集落の居住者ではあるが、入会集団の構成員としての部落民ではない旨主張してこれを争い、さらに右の区別を明らかにするために入会集団の構成員である部落民は「黒川牧野組合」を結成している旨主張している。因みに、明治以前の自給自足的な農村経済のもとでは、集落の居住者は概ね入会集団の構成員でもあったのであるが、明治以降の貨幣経済の急速な農村への浸透に起因する古典的入会権の解体、変質につれて、集落に居住して世帯を持っていても、入会集団の構成員ではない部落民が、次第に増加していることは、今日一般に承認されているところである。そして、本件全訴訟資料によっても、行政主体である南小国町の一部である黒川部落という集落に世帯を持つことのみによって、入会集団の構成員となり、入会権の主体となる旨の慣習があったと認めることは到底できないのであり、かえって、そこに自ら一定の資格及び要件を必要とする旨の慣習があったことが窺えるのである。結局、原告らの本訴請求の当否は、本件入会地における入会慣行を丹念に検証することによって、黒川部落民の入会権の権利と義務の内容を明らかにし、そこから入会集団の構成員としての資格及び要件を抽出し、原告らがこれに該当するか否かを検討することによって決する他はない。

二  入会慣行

《証拠省略》並びに前判示事実に、弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一)  入会地の状況

1  本件入会地は、熊本県阿蘇郡南小国町大字瀬ノ本にある九州横断道路から北へ分岐して同郡小国町大字宮原へ通じる県道の南小国町大字黒川までの道路以北に存する山、丘陵、原野等を含む合計四〇筆公簿面積三二万九二四二平方メートルの土地(ほかに訴訟の対象外の数筆の入会地がある。)であり、実測面積は測り知れないほどの広大な地域である。

2  本件入会地の北東側は国有林に、西側は民有地に接しており、南側は前記県道に面している。右の広大な地域の中にも民有地が多数存在している。

3  入会地内の北方部分は字赤谷、その南部に字北黒川、さらにその南部の西側部分に字西黒川、東南部に字火焼輪知の入会地が存在する。これらの入会地を西南方に下ったところに、前記県道をはさんで原、被告らの居住する黒川部落集落が存在する。

4  字赤谷の入会地には東西に一連の土塁が設置されていて南北に分断されており、北部は干草採草地(冬期の飼料用の採草地で採草後その場に積んでおく。)、南部は朝草採草地(夏期間中の飼料として毎朝採草する採草地)、放牧地となっている。字北黒川、字西黒川、字火焼輪知にはくぬぎ等の天然木が多数生育していて、くぬぎの天然木を保護撫育した分収林や、杉などを人工造林した分収林などが存在しており、放牧地にもなっている。字西黒川の入会地内と本訴外の入会地である字廣戸の入会地内には学校施設の充実資金にあてるためにくぬぎを保護撫育している学校林がある。また、字北黒川の入会地内には筋湯道とか平野道と称する牧野道(現在、町道)があって、東は平野台を経て国有林内を通り筋湯温泉に至り、西は山を下って前記黒川部落集落へ通じている。この字北黒川の平野道から、入会地を出て、黒川部落へ通じる道路は、古くは、踏み分け道であったが、昭和三四年に平野道の整備に際し、国と町の補助を得、かつ受益者である地元入会集団もその経費の一部を負担して新設完成したものである。

5  字小葉瀬の入会地は、これらの入会地から離れて前記県道の西南方に存在し、くぬぎの分収林がある他、採草放牧地にもなっている。

(二)  入会地の管理

1  黒川部落集落には、古くから、部落民によって組織される部落会という組織があって、規約を有して、活動している。黒川部落集落は、前記の県道を境にして北側が上組、南側が下組となっており、各組はそれぞれ四班に分けられている。最高の決議機関としては、部落総会がある。部落総会において、部落総代(部落長)、部落委員、会計、監事等の役員が選任される。部落総会は、古くは毎年一二月二〇日ころ、近年は毎年一月二〇日ころに、定例総会が開かれ、必要に応じて臨時総会が開催されている。総代は部落会を総括し、部落委員は委員会を構成して日常的な事務の決定、執行にあたっている。部落総会、委員会には決議録があり、部落の収支については「部落共有金出納簿」、「部落会計」といった名称の会計帳簿が存在する。部落総会では、会計報告の承認、役員の選出、入会地内の天然木であるくぬぎの保護撫育地の決定ないしその伐採の決定、分収林契約の同意等の入会地の利用方法の決定ないしその変更、入会地内のくぬぎ等の産物の売却収益の利用方法の決定、入会地の防火線刈り、防火線焼き、野焼き、道作り、学校林の下刈り、各種祭り等の部落行事の決定、各種行事に不参加の場合の出不足金と称する過怠金の決定、他の入会集団との紛争あるいは本件入会集団構成員による統制違反形態の入会権の不正行使(たてだし)問題の処理等が取扱われる。

2  部落会の収入は、入会地内の立木の売却代金、各種部落行事に関する出不足金、入会地に隣接する山林所有者が伐採木を搬出するために入会地内あるいは関連道路を使用した場合の道路損料ないし修理費名義の使用料、分家・転入・帰村者から徴収する入村金、黒川部落集落に居住する全世帯主から一律に徴収する部落費、部落共有土地からの地代等によっている。殊にくぬぎ等の立木の売却代金は部落の収入の大きな部分を占めていて、すべて一旦部落会計に入金されて管理されている。

3  部落会の収益のほとんどすべてが、古くから、黒川部落集落内の道路の設置維持、街灯の設置・維持、消防器具の購入、学校施設の整備あるいはその他住民生活に必要な共益費に充当されてきた他、分収林の設定ないし伐採のための経費等にも使用されている。前判示黒川部落集落から平野道へ通じる道路の新設に際しての地元負担金は、部落会において農業協同組合から借入れて調達し、黒川部落会計から割賦返済された。また、被告らの属する牧野組合も昭和四一年六月二〇日には、部落総会に対して、牧柵等の牧野改良事業資金をくぬぎ売却代金をもって充当されたい旨申し入れた事実があって、被告らも少なくともこのころまでは右の収益管理方法を承認していたことが窺える。

4  後に説示するとおり、黒川部落集落では入会集団構成員としての部落民(正部落民)と「準部落民」との区別が意識されていたが、準部落民には部落総会においても、入会地の管理及び収益の処分等についての発言権は認められないし、反面入会地に関する各種労役に参加する必要はなく、入村金を徴収されることもなかった。

5  右認定の部落総会、委員会等の機構の構造、機能、経理、正部落民と準部落民の権利と義務の差等の事実に照らすと、これらの諸機構が入会集団構成員の総手的意思を形成したり、これに基づく執行をしたりするための入会集団の管理機構として存在し、機能していたことは、明らかであって、被告らの主張するように単に黒川部落集落の管理機構にすぎないとは認められない。

(三)  入会地の利用

1  黒川部落集落には、古くから天然湧出の温泉があり、ひなびた山間の湯であった。黒川部落民のほとんどは農業を営んでいて、牛馬を所有している者も多かった。従ってほとんどの部落民が入会地に入って採草、放牧をし、あるいは各自必要に応じて薪炭用原木を採取する等の入会稼ぎをしていた。干草採草場は、前判示のとおり、字赤谷の土塁の北方にあって、その面積も限られているので、毎年部落総会において、野分け委員による案に基づき、牛馬の所有頭数に応じて各自に割当られることになっていたが、その後、採草放牧を行う者らの自治に委ねられるようになっていった。また、薪炭用原木の採取については、古くは自由であったが、次第に一定の地域に限定し、一月中旬から四月までとし、伐採して当日持ち帰れる量に限ってこれを許し、野積みしておくことを禁じる等、伐採の場所、時期、方法等を制限するようになり、くぬぎ立木の保護撫育の方向がうちだされるようになった。

2  この間にあっても、入会権者各自の入会稼ぎの他、入会集団が薪炭原木を入会権者中の希望者又は第三者に競争入札により売却し、その売却代金を取得することも、古くから何度も行われたが、その収益は、前判示のとおり、すべて一旦部落会計に入金された後、共益費として利用され、入会権者個人に分配されることはなかった。戦後、殊に昭和三〇年以降家庭用燃料として、プロパンガス、灯油、電力等への需要が高まるにつれて、薪炭の需要が減退し、かわってくぬぎが椎茸原木(なば木)として高い商品価値を持つようになってきた。入会集団では、このような変化に対応して、昭和三〇年ころから、くぬぎを薪炭用に伐採することを禁止し、椎茸原木として保護撫育して行くことになった。こうしてくぬぎの伐採については、入会集団の意思によるという方向が強くうちだされ、個人によるくぬぎの侵奪については、部落総会によって選任された原野整理委員会による整理、仕末書の徴収等の厳しい措置がとられるようになった。

3  そしてこのような入会地の利用形態の変化は、入会山林原野の高度利用を町是とする、入会地の地盤所有者である南小国町の施策とも合致していた。本件入会地は、政府の部落有林統一政策に基づき南小国町の所有となったが、従来の入会慣行はそのまま持続するという条件が附されて黒川部落民の入会権が確認されたことは、先に判示したとおりであるが、その際さらに、入会地上の天然木、人工造林木を伐採した場合には、伐採収益を入会集団七割、南小国町三割の割合で分収する旨の統一条件も附せられた。南小国町では、右の統一条件にそって、南小国町町有林野部分林設定条例を制定して、造林組合の結成を促し、造林組合との間で分収契約を締結することによって、天然木の保護撫育、人工造林を奨励してきた。そして、分収権の確保を図るために、伐採に当っては、造林組合長から南小国町へ部分林伐採申請をさせ、森林組合に委託して入札によって売却し、分収してきた。造林組合の結成されていない非部分林木については、部落の代表者から伐採申請をさせることによって、同じ手続により、分収してきた。一方入会集団においては、分収契約を締結するにあたっては、部落総会においてその設定を検討してきた。従来の分収契約においては、黒川部落民でない者が造林組合員となったことはなく、むしろほとんどの黒川部落民が造林組合員となったりしている。これらの分収契約書の造林組合員名簿には原、被告らないしはその先祖の名前が混在していて、入会権者の範囲を窺わせるものがある。こうした本件入会地における分収契約の特色を反映して、分収林を伐採したことによる入会集団の分収益は、入会集団の管理財産である旨、再三部落総会において決議され、造林組合員の名簿のいかんを問わず、部落会計に入金されたりして、共益費に利用され、造林組合員個人に分配されることはなかった。

ところで、本件入会地は、元来、黒川部落有財産として、黒川部落民に総有的に帰属する私有財産たる共有の性質を有する入会権の客体であったことは、先に説示した本件入会権の歴史に照らして、明白である。そこでは、観念的には、黒川部落民の地盤所有権に対する総有権と地上産物に対する使用、収益、処分の総手的権能が混然一体となって権利内容を構成していたといえる。そして政府の部落有林統一政策に基づき、黒川部落民のこの権利内容のうちから、地盤所有権に対する総有権が奪われて、南小国町の所有に帰したが、残余が黒川部落民の権利として留保され、この結果、黒川部落民の入会権は地役的入会権に変化したものである。つまり、黒川部落民の入会権、これに基づく地上立木その他の産物の使用、収益、処分の権能は、元来黒川部落民の総手的権利であったものであり、統一条件によって与えられたものではないのである。従って、入会地上の立木その他の産物の所有権は、入会権者らに総手的に帰属するのであって、入会集団の総手的意思に基づかずして、地盤所有者との分収を強いられたりする性質のものではなかったといえる。しかし、前判示のとおり、大正一五年以来長年にわたり分収の慣行が累積されることによって、入会集団の総手的意思に基づき分収の慣行が追認され、この結果、今日では、黒川部落民の入会権の権利内容を規制しているものといえる。そして分収契約は、一般に天然木を保護撫育しあるいは人工造林をして、その収益を造林者と土地所有者とが分収する組合契約類似の契約とされているのであるが、地役的入会権にあっては、造林者が入会権者でない場合または入会権者中の一部の者である場合には、入会集団構成員の各自が持っている入会権に基づく使用、収益権能に制約を加えることになるから、分収林による収益のうち、分収契約に基づく造林者の収益分を除外した残余の分は、入会集団構成員に総手的に帰属し地盤所有者たる南小国町は、前判示分収の慣行に基づき、入会集団構成員らの総有的収益に対して分収に与る関係にあるものといえる。そして入会地の利用がこのように高度に貨幣経済的契約利用形態に変化していったとしても、それは入会権の用益方法の変更にすぎないのであって、その収益が入会集団構成員の総有権の客体となっており、総手的意思の統制に服している以上は、入会権者らが何ら入会地の利用に与っていない等と解すべきものではない。もっとも本件入会地における従来の分収契約は、こうした発展した形でのそれではなく、黒川部落民の多くが造林組合員として参加し、収益も組合員個人に分配されることはなく、部落会計に入金されたりして共益費に使用されているのであって、契約利用形態というよりも、既存の入会権の用益方法の変化形態であるといえる。

4  この間にあっても、黒川部落民の脱農化が進行し、また農業の機械化によって牛馬を所有する者も減少していき、前判示の家庭用燃料需要の変化、入会集団の入会地利用形態についての方針等もあって、次第に入会地に入って、採草、放牧等入会地の古典的利用をする者も減っていった。

原告らのうち別表第一グループ中の後記一三名の原告ら及び被告らは、概ね代々黒川部落に居住して農業を営み、採草、放牧をしてきたが、右の原告らも次第に離農したり、兼業農家になったりし、あるいは農業を営んでいても牛馬を手放していった。そして昭和三五年ころ、当時牛馬を所有しているために、採草、放牧に関して共通の利害を有している者らが集まって、黒川牧野組合を結成し、以来、同組合員が採草、放牧をしてきた。現在、黒川部落集落世帯のうち約二〇戸が同組合に所属しており、被告らもその一員である。しかし、右に見た農家の変化は牧野組合員についても例外ではなく、本訴係属後、兼業農家に転じたり、あるいは牛馬を手放す者もでてきており、これらの者の入会地の利用形態は、原告らとの間にその差を発見することができない状況である。

5  右に検討してきたところによると、牧野組合員の多数の者のように、採草、放牧等の古典的利用に与る者が入会地の利用に与っていることは明らかであるが、牧野組合員でない者も入会地上の立木その他の産物の処分収益を入会集団の総手的意思に基づき共益費に使用することによって入会地の貨幣経済的利用に与っていることは明らかであって、それが入会集団の構成員としての地位に基づいている以上は入会権の行使方法なのであって、入会集団の構成員としての地位に基づかない準部落民の受ける恩恵的、反射的利益とは明確に区別すべきものと判断できる。右認定判断に反する被告らの主張は採用できない。

(四)  入会権者の義務

1  入会権者は、慣習上、労役の提供等の一定の義務を果すことが必要であった。労役としては、入会地と国有林境及び民有林境の防火線刈り、防火線焼き、野焼き、入会地内の牧道及びこれに通じる道路の整備、くぬぎ保護撫育地の下草刈り、牧柵の設置、維持、部落内の県道、町道等の整備等があった。そして、これらの出役には一世帯から成人男子一名の出役が義務とされ、不参加の場合や参加しても労役の提供がこれに満たない場合には、出不足金の支払を義務づけられた。出不足金の制度は古くから存在した。

2  防火線刈り、防火線焼きには、入会地と国有林境のものと、民有地境のものとがある。国有林境の防火線作りは、秋に防火線を刈って、焼く作業と、春に防火線を焼く作業とから成っている。そして、国有林境の防火線作りは、古くは、国が自ら行っていたのであるが、その後個人に請負わせたりしていた時期もあった後、戦時中から部落民全員で行うようになり、これに対して国から報酬が支給され、防火線切人夫賃といった項目で部落会計に入金されている。この報酬は昭和四七年ころまで支給されたがその後支給されなくなった。この間にあって、部落民の脱農化が進行するにつれて、国有林境の防火線作りは秋の防火線刈りと春の防火線焼きは部落民全員で行うが、秋の防火線焼きは牧野組合員のみで行うようになった。民有地境の防火線刈り、入会地内の野焼きも以前は部落民全員で行っていたのであるが、防火線刈りと字赤谷の土塁の北方にある干草採草地の野焼きは牧野組合員のみで行うようになった。字小葉瀬の入会地の野焼きは、古くから現在も、部落民全員で行っている。また字火焼輪知の野焼きも、前判示春の国有林境の防火線焼きの際部落民全員で行っている。入会地内の牧道及びこれに通じる道路の設置、維持も以前は部落民全員で行っていたが、次第に入会地内の牧道は牧野組合員が行い、これに通じる道路は部落民全員で行うようになっていった。前記平野道とこれに通じる道路の整備等にその例を見ることができる。牧柵の設置、維持についてはすべて牧野組合員が労務の提供をしている。学校林の下草刈りは部落民全員で行っている。その他部落内の道路の整備は部落民全員で行っている。

3  右認定の部落民の出役状況を総合すると、以前には入会地の管理義務は部落民全員で行われていたが、前判示の入会地の利用形態の変化は入会権者の義務の面にも反映し、部落民の脱農化の傾向につれて、干草採草地の野焼き、牧柵の設置、維持、入会地内の牧道の整備等に見られるように、採草、放牧等の古典的利用形態に主として関連する管理義務については牧野組合員が担当し、くぬぎの保護撫育地や分収林のある字小葉瀬、字火焼輪知等の入会地の野焼き等に見られるように、貨幣経済的利用形態にも関連する管理義務及び部落内の県道、町道の整備等に見られる部落住民としての義務については、部落民全員で行っていたことが明らかである。そして入会地と直接関連のない、部落住民としての義務も入会集団の総手的意思によって入会集団の行事として行われる場合には、これに参加することは入会集団構成員としての義務ともなるものであった。

4  以上の諸出役は、部落総会、委員会等の管理機構によって、日時、場所、人員の配置、分担等が決定され、これに基づいて行われていた。

なお、従来、くぬぎが密生して放牧の妨げになる場合には、牧野組合員らの自主的な判断で間伐や枝打ち等が行われてきた。これらも採草、放牧に関連する入会地の管理義務の一環であるが、究極的には、これらも、入会集団の総手的意思の統制のもとにあるものであって、その目的、方法、範囲が合理的な範囲内にある限りにおいて、入会集団の総手的意思に副うものとして、牧野組合員らの自主的判断に委ねれらていたものであった。従って、これらの管理行為も右に見た合理的な範囲を逸脱するようなことがある場合には、善良なる管理者の注意義務違反となり、適法な管理行為とはいえないことになった。このことは、昭和三六年一月二〇日の部落総会における決議の中に、「平野の牧の下の出口のくぬぎは適度に薄める事」の記載があることによっても窺える。そこには、入会地の古典的利用形態と貨幣経済的利用形態の調整を企図している入会集団の総手的意思を窺うことができる。

5  《証拠判断省略》

(五)  入会権の取得と喪失

1  入会権者としての資格は、入会集団の総手的意思により入会集団の構成員たり得ると認められることによって取得され、入会集団から離脱することによって喪失した。このことは、部落総会や委員会において、入会権者である資格及び要件が検討されたり、これに関連して入村金の額、基準、改正、分家・帰村者からの徴収の当否等の入村金に関する諸般の問題が討議されていること、部落の現在員が再三調査確認されていること、その際永住者と駐在員、教師等転出予定者とが区別されていること、昭和三〇年一月の委員会において「入村申込書」という書式が検討されたことが窺えること等の事実によって明らかである。

2  入会集団の構成員と認められるためには、永住の意思をもって、黒川部落集落に継続して居住することが必要であった。前判示の駐在員、教師等転出が予定されている者は、永住の意思がない者として、黒川部落集落の居住者ではあっても「準部落民」として取扱われ、「入会集団の構成員たる部落民」としての「入村」、「村入り」、「組入り」、「部落入り」は認められなかった。そしてこの居住の事実は、住民登録の有無という形式的なものによるものではなく、現実に黒川部落集落に生活の本拠を置いているかによるのであり、黒川部落集落から離脱することによって入会権を失った。しかし、入会権者であった者は、再び黒川部落集落へ転入することにより、「帰村者」として容易に入会権を取得することができた。さらに、黒川部落民の入会権にあっては、永住の意思をもって黒川部落集落に継続して居住することによって、他の要件を充足する限り、入会集団の構成員となることができ、被告らの主張するように、転入、分家、帰村者については一切入会権を認めないというものではなかった。

3  黒川部落民の入会権にあっては、古くから入村金という制度があった。古くは「加入金」とも呼ばれ、昭和一一年一二月二〇日の定例総会の決議の項にもこの記載がある。しかし戦前は、黒川部落民のほとんどは、「地付き」と呼ばれる土着民であって、部落民の移動も少なかったので、入村金の制度もそれ程問題になることはなかった。戦後、部落民の転入、転出等の移動が盛んになり、殊に昭和三〇年以降この傾向が顕著になるにつれて、永住の意思を確認する必要に迫られ、さらに、既に入会地に投下してある資本と労力を公平に分担する意味で入村金の制度が見直されるようになった。こうして、昭和三〇年二月二日の部落総会において、新たに入会集団の構成員となろうとする者から入村金を徴収する方向が確認され、一年以上黒川部落集落に居住していることを条件として、永住意思の確認にとって重要と思われる転入者の住居の態様に応じ、(イ)家屋敷を構えた者から一万円、(ロ)借家の者から五〇〇〇円、(ハ)間借りの者から二〇〇〇円を徴収することとされ、さらに、従来黒川部落に居住している者で、入会権者世帯から分家独立して入会権者と認められた者からは入村金を徴収しないことも確認された。その後、昭和三五年の部落総会においては、分家した者からも右(イ)、(ロ)、(ハ)の基準に従い入村金を徴収すること、入会権者が離村して五年以内に帰村した場合には入村金を徴収しないことが確認された。入村金についての右の取扱いは、居住の継続年数の点等制度内容の検討を委員会に付託しつつも、毎年の総会において「前年通り」として確認されてきた。しかし、入会権者の範囲をめぐって本訴が提起されるに至ってからは、入村金も徴収されていない。

右認定の入村金制度の趣旨、目的、機能、変遷、管理、使途、黒川部落集落の居住者から徴収する「部落費」という制度が他にあること等の事実に照らすと、入村金が入会集団の構成員となるための資格との関連で存在したことは明らかであり、被告らの主張するように部落の設備、備品を利用すること等に対する謝礼としての入村「寄附金」といった性質のものでないことも明らかである。そして、入会地に人工造林が行われる等資本と労力の投下が進みかつ入会権者個人に収益の分配が行われる等、入会地の貨幣経済的利用形態が進むにつれて、入村金も高額化するものと思われる。そして、昭和三〇年制定当初の入村金の金額は当時の貨幣価値から見て決して低い額ではないのであるが、さらに、黒川部落民の入会権にあっては、立木伐採による収益は、共益費として使用され、入会権者個人に分配されることがなかったことは前に説示したとおりであり、このことが長年にわたり入村金が一定額に据え置かれていたことの原因であったと推認できる。

4  入会集団の構成員と認められるためには、さらに、前判示の入会地の管理義務及び入会集団構成員としての義務を果すことが必要であった。これらの義務に基づく各種の労役に不参加の場合には、出不足金を支払う義務があった。入会権者である者も、これらの義務を果さない場合には、入会集団から除外されて入会権を喪失し、準部落民となった。そして、入会権者の負担する入会地の管理義務及び入会集団構成員としての義務は、総手的権利にともなう総手的義務として入会権の本質に由来するものであるから、元来、金銭をもっては替え難いものであり、黒川部落集落からの離脱によって履行不能に陥り、また長期にわたる各種労役への不参加は、右の義務の不履行を招来するものであった。出不足金はこのような義務の不履行を招かない程度の短期ないし単発的な労役への不参加を補うための制度であったといえる。昭和三八年度の部落総会議事録には「村の行事を一年以上怠った者失格」との記載があり、これらによると、黒川部落民の入会権においては、入会権の喪失を招く各種労役への出役義務不履行の期間は、概ね一年以上を目安にしていたことが窺える。

5  次に入会権者である世帯主が死亡した場合には、その世帯を「承継」して新たに世帯主になった者が入会権者と認められた。

6  右の認定事実を総合すると、黒川部落民の入会権にあっては、入会権者世帯の承継、分家、転入、帰村により永住の意思をもって黒川部落集落に継続して居住し、入会集団が仲間的共同体の一員として承認することによって、入会集団の構成員たる資格を取得し、入会地の管理義務及び入会集団構成員としての義務から成る入会権者の義務を果すことによって入会権者であり得、入会利用に与ることができ、入会権者の義務を果さないことによって入会権を喪失したものと判断できる。また、入村金を支払っている者は、入会集団の総手的意思によって、黒川部落集落に永住の意思をもって継続して居住していることを確認され、入会集団という仲間的共同体の一員であることを承認されていること、即ち。入会集団の構成員たり得る資格を取得していたことを推認させるものであると判断できる。

(六)  入会権取得の効果

入会権者となった場合には、入会権者としての権利義務においては、平等であって、従来からの入会権者世帯を承継した者(旧家)、分家、転入、帰村等入会権取得の態様によって、そこに差がもうけられることはなかった。もっとも、ここに入会権者の権利義務の平等とは、いわゆる入会権者としての資格に基づく形式的平等をいうのであって、全く同一の取扱いがなされていたことを意味するものではない。従って、現実に牛馬を所有している者だけが採草、放牧に与ったり、牛馬を所有している者の中にあっても、分家、転入、帰村による新規の入会権者に対しては、面積が限られている干草採草地の割地が容易には認められなかったり、または、将来、仮に入会地からの収益を入会権者個人に分配することがあるとしても、入村金支払の有無、入会権者としての義務履行の程度等の合理的基準に基づいて収益の分配に差がもうけられることがあっても、あるいは採草、放牧に与る者が採草、放牧に与らない者よりも、採草、放牧に関連する労務に関してより多くの出役をしていても、これらが入会集団の総手的意思に基づいており、しかも資格において同等である限り、入会権者の権利義務において平等というのを妨げないのである。

そして、入会権の権利内容としては、入会集団の総手的意思の統制のもとに、地上立木その他一切の産物及びその換価収益を収益する権能を包含するものである。

三  原告ら各自の入会権

前判示事実、《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

(一)  第一グループ

1  別紙二第一グループの一四名の原告らのうち、番号12原告北里弘を除くその余の一三名の原告らの先祖は、戦前あるいはさらにその以前から、既に、黒川部落集落に継続して居住し、入会権者としての義務を果し、入会利用に与って入会権者であった者(旧家)であり、右一三名の原告らは、戦前から戦後にかけて、その世帯を承継することによって入会集団構成員たり得る資格を取得し、入会利用に与り、入会権者としての義務のうち、部落民全員で行っている労役に出役することによって、入会権者としての義務を果し、入会権者である者である。このうち番号1ないし7、9、11、13及び14の原告らは、原告自身ないしは先祖の代から、専業農家ないしは兼業農家であって牛馬を所有して採草、放牧に与っていたことのある者であるが、現在では牛馬を手放している。番号13原告北里時雄は牧野組合の役員をしていたこともある。

結局、右一三名の原告らと牧野組合員との差は、現在では牛馬を所有していないことから採草、放牧に与らないので、牧野組合員のみで行う主として採草、放牧に関連する管理義務には出役していないことに尽きる。そしてこの点の違いの故に、一方は入会権者であり、他方は入会権者でないというようなことにはならないことは、これまで説示してきたことによって明らかである。

2  番号12原告北里弘は、その先代北里八熊の婿養子であって、八熊は戦前一戸を構え農業を営んでいたが、田畑を処分し家をたたんでいること、原告北里弘自身も大分県に居住したりした後、昭和三七年ころ黒川部落集落に帰ってきたことが認められるので、原告北里弘については原告らの主張のように入会権者世帯を承継して入会集団構成員としての資格を取得したとはたやすく認定することはできない。しかし、原告北里弘は昭和三七年ころ転入してきてから後、入会権者としての義務を果していたことが、火入許可の「請書」の中に同人の署名捺印があること等によって認められるのであるから、同人については後に判示する第三グループの原告らと同じグループとして把握するのが相当である。入会権者としての資格及び要件に欠けるところはない。

(二)  第二グループ

別紙二第二グループの原告七名は、戦前から昭和二七年にかけて黒川部落集落に転入し、継続して居住することによって、入会集団構成員としての資格を取得し、入会権者としての義務、殊に部落民全員で行っていた入会権者としての義務を果すことによって入会権者である者である。このうち番号17、18の原告は、以前には農業を営み牛馬を所有して採草、放牧にも与っていたのであるが、その余の原告らは、林業、土木業、椎茸栽培業、労務者等の職業に就いているのであるが、貸幣経済的利用形態に与ることによって、入会利用に与っているものである。

(三)  第三グループ

1  別紙二第三グループの原告一六名は、昭和三〇年以降黒川部落集落に転入し、継続して居住することによって入会集団構成員としての資格を取得し、貨幣経済的利用形態の入会利用に与り、入会権者としての義務、殊に部落民全員で行っていた入会権者としての義務を果すことによって入会権者である者である。

2  原告らは、右一六名の原告らは「入村」に際し入村金を支払っている旨主張し、原告らの供述にも右主張に副う部分がある。そして番号23、25ないし28、30ないし33及び36の一〇名の原告については、部落会計簿にも入金の記載があるので、入村金支払の事実を認定することができるが、番号22、24、29、34、35及び37の六名の原告については、部落会計簿にも入金の記載が見当らないので、入村金支払の事実をたやすく認定することはできない。しかし、入村金の支払は、入会集団構成員たる資格との関連においては、黒川部落集落に永住の意思をもって居住するか否かの確認の手段であったのであり、それ故に、入村金を支払っていれば、入会集団がこの意思を確認して入会集団の構成員たる資格を承認していたことを推認させるものにすぎなかったことは前に説示したとおりである。従って、右六名の原告らについても火入許可に対する「請書」の中に右原告らの署名捺印があること等によって、入会権者としての義務を果していたことが明らかである以上は、入村金支払の事実が認められなくても、入会権者としての資格及び要件に欠けるところはない。

(四)  第四グループ

別紙二第四グループの原告三名は、元来入会権者世帯であった者(旧家)から、戦後分家独立し、継続して居住することによって、入会集団構成員としての資格を取得し、第三グループの原告らと同様の入会利用に与り、入会権者としての義務を果し、入会権者である者である。なお、入村金支払の事実は、番号39の原告について認められ、番号38の原告について認められない。

四  結び

右に説示した通りであるから、原告らが本件入会地につき入会権を有しており、入会権に基づき、入会集団の総手的意思の統制を受けて、それぞれ被告ら各自と形式的平等のもとに立木その他一切の産物及びその換価収益を収取する権能を有することが明らかであり、原告らの請求はこのような権能の確認を求めているものと解され、被告らがこれを争っていることから確認の利益があることも明らかである。結局、原告らの本訴請求は全部理由があることに帰するから認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮良允通)

<以下省略>

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